長田弘「あのときかもしれない」 深呼吸の必要より
中学生の頃、テレビでこの詩を、徳光和男アナウンサーがたぶん「ズームイン朝」で、朗読していました。その徳光さんとは、20代前半にひょんなことでお会いして、言葉を交わしましたが、、言葉の端々に人柄の温かさを感じました。何度となく、心に浮かぶこの詩に、気持ちが新たになります。今でも、朗読で長田弘氏を選択した、徳光さんに感謝したくなります。

長田弘詩集「あのときかもしれない」から、
きみはいつおとなになったんだろう。きみはいまはおとなで、子どもじゃない。子どもじゃないけれども、きみだって、もとは一人の子どもだったのだ。・・・そうしてきみは、きみについてのぜんぶのことを自分で決めなくちゃならなくなっていったのだった。つまり、ほかの誰にも代わってもらえない一人の自分に、きみはなっていった。きみはほかの誰にもならなかった。好きだろうがきらいだろうが、きみという一人の人間にしかなれなかった。そうと知ったとき、そのときだったんだ、そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。

・・・子どものきみは「遠く」ゆくことをゆめみた子どもだった。だが、そのときのきみはまだ、「遠く」というのが、そこまでいったら、
もうひきかえせないところなんだということを知らなかった。

「遠く」というのは、ゆくことはできても、もどることのできないところだ。子どものきみは、ある日ふと、もう誰からも「遠くへいってはいけないよ」と言われなくなったことに気づく。そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、ひとりの子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。・・・


ふと気がつくと、いつしかもう、あまり「なぜ」という言葉を口にしなくなっている。そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、ひとりの子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。「なぜ」と元気にかんがえるかわりに、「そうなっているんだ」という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになったとき。・・・そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。きみがきみの人生で、「こころが痛い」としかいえない痛みを、はじめて自分に知ったとき。


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by fancy824 | 2009-08-27 22:49 | エッセイ、本
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